中国語サークルおすすめ3選!初心者でも失敗しない選び方・比較・解説

「中国語の会話練習をしたいけど、独学だと限界がある…」

「中国人の友達を作りたいけど、どうすれば良いか分からない…」

この記事は上記のような方におすすめです!

この記事では日本ではまだまだ勉強できる環境が少ない、中国語を学べるサークル3つを徹底比較します!

この記事で分かること

●中国語サークルとは?

●中国語サークルの選び方

●おすすめの中国語サークル3選

本記事を参考に自分に合う中国語サークルを見つけて、ぜひチャレンジしてみて下さいね!

目次

1.中国語サークルとは?

2.中国語サークルの選び方

3.おすすめの中国語教室3選

 3-1.レコチャイ

 3-2.星期日漢語角・日語角

 3-3.yu@中国コミュニティ

4.【まとめ】自分に合った中国語サークルを選んで中国語学習を更に充実させよう!

1.中国語サークルとは?

中国語サークルという言葉が聞きなじみのない人もいるかも知れません。

まずは、そもそも中国語サークルとは何なのか?を簡単に見ていきましょう!

●中国語教室との違い:多人数・会話重視

●中国語サークルの中での違い(1):授業型と交流型

●中国語サークルの中での違い(2):イベント寄りとコミュニティ寄り

中国語教室との違い:多人数・会話重視

中国語サークルという名前の通り、中国語教室が比較的1対1が多いのに対して、中国語サークルは参加者が多人数であることが多いです。

また、中国語教室が発音や文法・読解など基礎的な部分を教えるのに対して、中国語サークルはメンバー同士の会話・交流に重点が置かることが多いです!

中国語サークルの中での違い(1):授業型と交流型

中国語サークルの中にも、1人の中国人講師がメンバーに授業形式で中国語を教えるものと、メンバー同士が対等な関係で交流を図るものがあります。

授業型は教科書的な内容を講師からしっかり学びたい人、交流型は教科書的な内容は別の方法で学びつつ・学んだ内容をアウトプットしてみたい人に向いていると言えそうです!

中国語サークルの中での違い(2):イベント寄りとコミュニティ寄り

交流型の中国語サークルも、イベント寄りとコミュニティ寄りのものとに分かれます。

イベント寄りは、1回1回の活動に非固定のメンバーも参加することが前提であるため、毎回のイベントに新しい出会いを求める人に向いていそうです!

一方でコミュニティ寄りは、比較的中長期の関係を重視しており、心理的な安全性を確保しながら、中国語を学び・中国人の友だちを作っていきたい人に向いていそうです!

2.中国語サークルの選び方

自分に合う中国語サークルを見つけるためには、いくつかポイントがあるので押さえておきましょう。

授業型か交流型か

中国語サークルに参加する目的が、教科書的な内容をしっかり継続しながら学びたい人であれば授業型が、

逆に教科書的な内容というよりは、中国語学習者や中国人に対して、学んだ内容を使ってみる機会を求めている人であれば交流型をが向いていそうです。

同じ中国語サークルという名前でも、その実態は全く異なるので、自分のニーズに合わせてきちんと精査する必要がありそうです!

イベント寄りかコミュニティ寄りか

とりあえず1回で良いので中国人に対して中国語を使ってみたい人はイベント寄りが、

逆にせっかく知り合いになるのであれば関係性を続けやすいような仕組みがある方が良い人はコミュニティ寄りが向いていそうです。

いずれの場合も体験参加が可能であることが多いので、まずは1度参加してみて、自分の肌に合う方を選んでみましょう!

活動が継続されているか

中国語サークルを調べて見ると気づくのが、

ホームページやSNSは存在するものの、更新がストップしてしまっている中国語サークルが多いこと。

複数のメンバーを募って活動を続けることは工夫が必要であるため、

残念ながら活動がストップしてしまった中国語サークルが多いことも事実です。

ホームページやSNSを見て、その活動が長く続いていそうか・今後も続いていきそうかをチェックすることも重要!

今回紹介する中国語サークルは、公式サイトやSNSから活動継続が確認できたものをピックアップしています!

3.おすすめの中国語サークル3選

会話を含めた中国語をマスターするための近道は、自分が続けられるサークルを選ぶことです。

ここからはおすすめの中国語サークル3つについて、それぞれの特徴やレッスン形態、料金について紹介します。

サークル名特徴
レコチャイしっかり先生に教えてほしいけれど、1対1の授業形式だと続けられるかどうか不安な人におすすめ!
星期日漢語角・日語角コミュニケーションが得意で、とりあえず様々な世代の中国人に、イベント的に出会ってみたいにおすすめ!
yu@中国サークル中国のことも学びながら、中国人の友だちをつくりたい人/中国語を使って新しいことにトライしてみたい人におすすめ!

レコチャイ

https://www.lecochai.com/

実施形態授業型
実施場所
レコチャイ専用教室(東京神田)、東京都内のレンタルスペース、公共会議室、オンライン授業
実施時間毎週月~金曜日19~21時(オンラインの場合20~21時)、土曜日13~15時/15~17時/17~19時
無料体験有無無料見学あり
料金授業参加費 : 1,500円/2時間授業(入会後、授業参加時のみ)
※シニア割1,000円(満65歳以上対象)
会費 : 前期1,000円(4~8月徴収)、後期1,000円(10~2月徴収)
公式サイトhttps://www.lecochai.com/about

しっかり講師に教えてほしいけれど、1対1の授業形式だと続けられるかどうか不安な人におすすめ!

海外留学生や社会人たちとともにグループレッスンを受講するサークルです。

中国語のみならず、英語・韓国語も開講しています。中国語については、初級~上級までクラスを分けた上で、文法や会話など様々なコンテンツを実施しています。

実際の口コミ↓

星期日漢語角・日語角

http://hyj.duan.jp/

実施形態交流型(イベント寄り)
実施場所西池袋公園での対面式とオンライン交流を同時開催
実施時間毎週日曜日(東京時間)午後2時~5時
無料体験有無※参加無料
料金無料
公式サイトhttp://hyj.duan.jp/

コミュニケーションが得意で、とりあえず様々な世代の中国人に、イベント的に出会ってみたいにおすすめ!

公式ホームページによれば、延べ参加者はなんと3万人!毎週開催されていますが、常連の方に加え、回によっては中国学生の訪日団なども参加し、様々な中国の方と出会うことができます。コンスタントに数十名の日本人・中国人が参加しています。

公式Twitterはこちら↓

yu@中国コミュニティ

https://yu-community.my.canva.site/

実施形態交流型(コミュニティ寄り)
実施場所オンライン、定期のオフライン交流会(東京中心)
実施時間毎週水曜日21時~雑談会、隔週日曜日10時~コミュニティ活動
無料体験有無有(雑談会はずっと無料)
料金雑談会は無料、コミュニティは3,300円/月(初月無料体験)
公式サイトhttps://yu-community.my.canva.site/

中国のことも学びながら、中国人の友だちをつくりたい人/中国語を使って新しいことにトライしてみたい人におすすめ!

20-30歳代がメインの中国語サークル。1人1人のメンバーとの交流・メンバー同士の中長期的な関係性を重視していて、新メンバーへのフォローが比較的丁寧です。コミュニティの時間では中国語だけでなく、中国/中国人について知ることができます。

もともとは在留外国人と日本人とのコミュニティ融和のために作られた活動であるため、希望する人は関連する様々なプロジェクトにチャレンジする機会もあります。

実際の口コミ↓

【まとめ】自分に合った中国語サークルを選んで中国語学習を更に充実させよう!

今回は、おすすめの中国語サークルや、サークルの選び方をご紹介しました!

中国語サークルとは?

●中国語教室との違い:多人数・会話重視

●中国語サークルの中での違い(1):授業型と交流型

●中国語サークルの中での違い(2):イベント寄りとコミュニティ寄り

中国語サークルの選び方

●授業型か交流型か

●イベント寄りかコミュニティ寄りか

●活動が継続されているか

記事で紹介した中国語サークルの特徴を比較しまとめた内容は、以下の通りです!

レコチャイ星期日漢語角・日語角yu@中国語サークル
実施形態授業型交流型(イベント寄り)交流型(コミュニティ寄り)
実施場所レコチャイ専用教室(東京神田)、東京都内のレンタルスペース、公共会議室、オンライン授業西池袋公園での対面式とオンライン交流を同時開催オンライン、定期のオフライン交流会(東京中心)
実施時間毎週月~金曜日19~21時(オンラインの場合20~21時)、土曜日13~15時/15~17時/17~19時毎週日曜日(東京時間)午後2時~5時毎週水曜日21時~雑談会、隔週日曜日10時~コミュニティ活動
無料体験有無無料見学あり※参加無料有(雑談会はずっと無料)
料金授業参加費 : 1,500円/2時間授業(入会後、授業参加時のみ)
※シニア割1,000円(満65歳以上対象)
会費 : 前期1,000円(4~8月徴収)、後期1,000円(10~2月徴収)
無料雑談会は無料、コミュニティは3,300円/月(初月無料体験)

独学で中国語の会話をマスターすることはかなり困難なので、中国語サークルにことがおすすめです。

自分の目的に合う中国語サークルの中から、ニーズや費用などの条件面も納得できるサークルを選ぶと、失敗するリスクが少なくなります。

ポイントを押さえて中国語サークルを選び、中国語をマスターしましょう!

语言和文化密不可分
【和外国人交流时的失败④】

                  在我小的时候,对一般的中国人而言,出国算是一件稀罕事儿——其实别说出国了,在国家还不够强大,人们生活水平尚未提高之前,除了个别特殊原因之外,普通人可能一辈子都不会离开自己的故乡。1992年改革开放进入新的阶段之后,人们逐渐富裕起来,出国旅行也便不再是什么稀罕事了。与此同时,中国也在积极与国际接轨,在各大城市开始可以看到外国人的身影。国与国之间实现了交流的可能,民间的交流也随之发展起来。

                  不管是走出国门去交流,还是和来到中国的外国人交流,学习外语自然成了必不可少的条件。拿英语来说,80年代只是年轻人觉得时髦才去学,90年代后逐渐走入中小学,并成为了一门必修课。而在娱乐文化上,90年代至今,日韩文化先后在中国流行,不少年轻人想办法学习日语或韩语。虽然自己这么说有自夸的嫌疑,作为擅长学习的亚洲人来说,通过各种渠道拿下一门或数门外语的人不在少数,然而问题也在此时发生了。

                  不管哪门语言,都少不了听、说、读、写。但作为长期接受应试教育的中国人来说,读是最擅长的,写其次,听和说就弱一点了。同时,正因为是应试教育,我们对外语的理解更多停留在表面,比如词汇量的累积和语法的运用之类的。相对的,我们对异国的文化理解相对的差一点。

                  我大学的英语老师给我讲过一个例子:他曾经去美国留学,当时他的英语水平在中国人看来算是很强了,但出国之后才感觉到自己的不足,甚至闹过这样一个笑话:他和一个美国朋友一起出门,途中这个朋友说了一句:“I want to go somewhere,(我想去某个地方,暗指洗手间)”我们的老师想表现中国人的随和,就说了一句:“you can go to anywhere!(你去哪里都可以!)”让他的朋友哭笑不得。

                  日语中也有很多类似的例子。比如日语里常见的“场面话/客套话”。其实严格来说,每种语言都有自己的客套话,而其客套话对应的本意,其他国家的人可能就不太清楚。中国人有时候喜欢说“有机会来我家玩啊”“有空一起吃饭啊”,这些往往都不是本意,只是跟你客气客气。如果真的有意邀请你,早就问你具体的时间有没有空了。而我自身遇到过的日语里的场面话,不得不提这几个:“考えさせてください。”“ちょっと難しいですね…”这发生在我向日本朋友发出某种邀请的时候,对方对我的回复。按照中国人一般情况的理解,前者的话,嗯,你要考虑考虑,那么给你时间考虑,我过两天再问好了。后者的话,嗯,有点困难,但也没直接拒绝,那我还可以再等等,之类的。这种交流方式,对于日本人的各位自然是耳熟能详信手拈来,但对于学过一点日语再出国的我来说,如果不是后面有人给我指出来,我可能还一直想不明白呢。

◇◇◇

yu成员用自己的情节来介绍一下”外语学习经验”。 这次,我们介绍一下 “和外国人交流时的失败”。

「言わないとやってくれないし、言えばすぐやってくれるよ」
【外国人との交流での失敗③】

 アメリカの大学院へ留学したいという切実な思いがあった。研究者としてのキャリアを考えるうえで、世界のスタンダードとなったアメリカの研究方法や、英語で自らの研究を発信できる能力は、是非とも身につけておきたいものである。そういう事情もあって、私にとってアメリカの大学院に行けるかいけないかは、人生を左右する程に重要な分かれ道であった。

 そのために、綿密な研究計画書を作成し難関と言われる研究費を獲得し、留学を希望していた大学の教授の日本講演を聞きに行き、心臓が飛び出る思いで話しかけて留学希望の旨を伝え、その後わざわざ一度渡米して研究室の授業を体験させてもらい、帰国してからは留学受け入れのための研究計画書類の作成や、TOEFLの基準スコアをクリアするため苦手な試験勉強に励んだ。

 そんなこんなでなんとか残すは先方の大学の事務が発行する受入証明書を携えて、米国大使館へビザを申請するだけという段階まで辿り着いた。だが、必要書類を事務にすべて提出して一週間が経ち、二週間が経ち、一か月が経っても受入証明書が来ない。私の感覚としてはアメリカの大学機関に書類を提出しているのだから信頼すべきで、こちらから確認や催促をするのは失礼ではないかと思っていたのだった。毎日メールボックスの更新ボタンを繰り返し押しながら、一日また一日と、もしかしたら書類の審査で落とされたのではとの思いも生まれ、留学には行けないのではという不安が積み重なっていった。

いよいよ米国大使館でのビザ申請から発行までの期間と出国日との兼ね合いがギリギリのタイミングになった。このままでこれまで準備してきたものがすべて水泡に帰してしまう。背に腹はかえられない思いで、先方の事務に連絡をした。

「留学用の必要書類、届いていますか?ビザ申請の為、受入証明書を頂きたいのですが…」

 返信はあっけないほどすぐに返ってきた。

 「あ、ごめん。忘れてた。今送りまーす。」

 すぐに受入証明書が送られてきた。

 ・・・。忘れてたって、あるの?私一人の特殊な書類でもないでしょ?私にとっては人生懸けた書類だよ?などなど居た堪れない思いが胸中に去来した。そんなことを愚痴りたくて、出国前に大学のアメリカ文学の先生の所に挨拶に行き、事の顛末をやや苛立ちながら話すと、先生は

「いやアメリカの大学といってもそんなもんですよ。言わないとやってくれないし、言えばすぐやってくれるよ。」

私にとっては人生を懸けた一通のメールだったが、向こう側では埋もれた記憶を思い起こすきっかけに過ぎなかった。でも、「そんなもん」だよな、とも納得できた。

自分の中の重要度と相手にとっての重要度は当然異なるものだ。自分にとって重要なら、「言わない」といけない。すると自分が思っているよりすんなりと、「言えばすぐやってくれるよ」。

              ◇◇◇

yuのメンバーが、自分のエピソードを交えて、「言語学習の経験」を紹介していきます。今回は「外国人との交流での失敗」について語ります。

「面白い話を聞かせてくれ」
【外国人との交流での失敗②】

 国際交流という文脈で、どれだけ外国語が堪能に扱えたとしても、乗り越えることが難しい壁がある。その1つが「笑い」だ。何を以って面白いとするかは、国によってかなり異なる。外国人の彼らが面白いと思うことが、日本人の私たちにとっては全く面白くなかったり、逆に日本人にとって面白いと思っていることが、外国人には全くウケなかったりすることがある。国によって、ウケをとるパターンが全く異なったりもする。

 アメリカのカリフォルニア州に留学していたときのことだ。当時私は、アメリカ人とメキシコ人の2人のハウスメートと暮らしていた。ある日の休日、アメリカ人のハウスメートが、自身のお酒の席での失敗談を話し始めた。5分ほどかけて話していただろうか。要約すると、親戚とのお酒の席で、1人が飲みすぎて戻してしまい、それを見た彼も連鎖的に戻してしまったということだった。要約してしまうと何のことはないが、彼の細かい描写が妙にリアルで、私とメキシコ人のハウスメートには、とてもウケた。話が終わると、今度はメキシコ人の彼が、「次は自分の番」と言わんばかりに、自分のエピソードを披露し始めた。そして彼も、数分を使って自身のエピソードを事細かに描写していったのだ。このとき私が、「これはマズい」と感じたことを覚えている。

 これはアメリカに来てから気づいたことなのだが、日本の生活で生まれる笑いは、複数人の会話や、その中で生まれる端的なツッコミで生まれることが多かったように思う。よくある「なんでやねん」のようなフレーズも、その1つかも知れない。一方アメリカでは、1人1人が4-5分かけて自身のユーモアあるエピソードで笑いを取りに来る場面が多く見られた。そして1人が語り終わると、他の者が「私の場合は、、、」と続け、それぞれがエピソードを交換するような感じだった。相手がエピソードを披露したら、自分もエピソードを披露することが、当時はある種マナーのように感じられた。

 私も、お酒の失敗の1つや2つ、ないわけではない。しかし、それを4-5分かけて、しかもある程度のオチをつけて披露するとなると、話は別だ。また、話を思いついたところで、それを当時の私のつたない英語に翻訳しながら語らなければならなかった。そんなことに思いを巡らせながら悶々としているうちに、ついにメキシコ人の彼のエピソードが終わってしまった。「さぁ、君の番だ。何か面白い話を聞かせてくれ。」友人たちは、そんな目で私をじっと見つめているのだ。私は訳も分からず話し始めた。正直、どんな話をしたのかはあまり覚えていない。支離滅裂な作り話を暫く続けていたような気もする。ただ、私が話し終わった後の、ハウスメートたちの気を遣った作り笑いは、はっきりと覚えている。ウケをとるパターンは違えど、「スベる」という空気感に国の違いはないのだと体感した瞬間だった。

 私のアメリカ留学が始まったばかりのことだった。これから乗り越えるべき壁の高さを、少々苦い感情と一緒に思い知った1日だった。

◇◇◇

yuのメンバーが、自分のエピソードを交えて、「言語学習の経験」を紹介していきます。今回は「外国人との交流での失敗」について語ります。

「烏龍茶が好きです」
【外国人との交流での失敗①】

私の夫は中国人だ。外国人である夫と話していると、私が日々いかに直接的な言い方をせずに話をしているかということに気付かされる。個人差はあるものの、婉曲表現を好み、はっきりとしたもの言いを避けるのは、日本人に共通の傾向と言っていいだろう。今回は、この傾向が原因で起こった私と夫の間のとあるささいなすれ違いについて紹介してみたい。

 夫と付き合ったばかりの頃の話だ。一緒に遊びに出かけると、夫は私に時折、喉が渇いていないか聞いてくれた。私と二人で出かけるとき、夫のリュックにはいつもペットボトルが二本入っていて、一方は夫の好きなコーラ、一方は私のためのお茶だった。私は頻繁に水分をとらないタイプなので、それほど喉は乾いていないことが多かったのだけれど、せっかく持ってきてくれたのだからと思い、勧められれば「ありがとう」と受け取っていた。その気遣いが嬉しかった。

 そうして差し出されるお茶を何度も受け取っているうちに私は気付いた。夫が時々自分用にコーラ以外の飲み物を用意してくることはあったけれど、私にくれるお茶は、決まって烏龍茶なのだ。最初は、夫自身がよく飲むのだろうと思ったけれど、彼が烏龍茶を特別好んで飲んでいる様子は見られない。「中国らしい飲み物」としてのチョイスなのだろうかとも思ったが、どうもしっくりこない。考えに考えて、ようやく行き当った。私は夫に一度、「烏龍茶が好き」だと言ったことがあったのだ。

 私と夫は同じ中国語会話サークルに所属していて、活動後、時々みんなで夜ご飯を食べに行っていた。他のメンバーがお酒を注文しているとき、私はあまり飲めないので、よく烏龍茶を頼んでいた。どのお店に入っても大抵メニューにあり、迷わずにさっと注文できるからだ。その様子を見ていた夫は、初めて私と二人で出かけた日に私にこう尋ねた。

「君が好きかと思って烏龍茶を持ってきたんだけど、これ、好き?」

私は烏龍茶が特別好きというわけではなかったけれど、特別嫌いというわけでももちろんなかった。気遣いを無下にしたくなくて、あまり深く考えずにこう答えた。

「うん、好きだよ、ありがとう」

かくして夫は、「烏龍茶が大好き」な私のために、毎回わざわざ重たい思いをしてペットボトルの烏龍茶を持参してくることになったのである。一方私は彼のそんな気遣いなど露知らず、「なんでこの人いっつも烏龍茶持ってくるんだろうなあ」などと思っていたのだ。……本当に申し訳ない。

 あのころから、およそ四年。結婚してからはもう一年半近い時間が経ち、何度もこうしたすれ違いを繰り返した結果、私は、夫と話すときにはかなりはっきりとものを言うようになった。これまで自分の希望を伝えるのがどちらかと言えば苦手だった私にとって、「これがいい」、「あれは嫌」というのを思うままに言う自分というのは、なんだか新鮮だ。度が過ぎてただの鬼嫁にならないように気をつけなければならないが、これからも夫と話すときは、この「もう一人の自分」を楽しんでいきたいと思っている。

◇◇◇

yuのメンバーが、自分のエピソードを交えて、「言語学習の経験」を紹介していきます。今回は「外国人との交流での失敗」について語ります。

从“人类进步的阶梯”到“新世界的大门”
【学习外语的契机和收获⑤】

  小时候,比起身边喜欢在外面玩的其他人,我更喜欢在家里静静的看书。我选择看的书并没有什么限制条件,不管是绘本,漫画,连环画,还是小说,童话,寓言,甚至包括百科全书和字典,都在我的选择范围内。每本书有其自己的特色,读不同的书的时候会收获不同的体验。有的书你每次读都有可能有不同的体验,有的书在你经历过一些特定的经历之前或之后去读它也会有不同的体验,这种乐趣正是读书带给我的。

  前苏联作家马克西姆·高尔基先生曾经说过一句话,“书是人类进步的阶梯。” 书,让我们懂得了更多的知识和道理。书,也是人类进步的起源。人们通过书籍来了解事物的种种,了解伟人给我们的启发和教育。

  而说到让我去学习外语的契机,不得不提两本书。一本是小说《冯· 特拉普家的歌手们》。大家乍一听可能不太熟悉这个名字,但如果告诉大家这部小说改编的音乐剧电影叫做《音乐之声》,可能大家就很熟悉了。值得一提的是,我小时候读过的版本,中文译文采用了到如今大家经常拿来玩梗的翻译腔。主人公玛利亚因孩子们恶作剧在坐在松果上而大叫的时候,上校诙谐的说了句 :“很动听的语调,在修道院学的吗?”玛利亚则没有生孩子们的气,只是用“哦,不,只是我的关节炎犯了。”而回避过去。这里面的译文虽然还是中文,但翻译腔的特色正是把外语的表达方式原原本本用汉语表现出来,以此让我更直接的接触外国的文化,了解其他国家人们的交流方式。

  另一本则是漫画《哆啦A梦》。很多人关注的是这个来自未来22世纪的猫型机器人,用各种各样的未来道具帮助20世纪的少年大雄的故事。而我的关注点则是这部漫画里介绍的各种日本元素。赏樱文化,茶道文化,饮食文化,榻榻米文化和祭典文化等。诚然这些日式文化里,有一部分文化来源中国,却在日本经过长时间的发展,发展出自己独特的文化。也正是因为通过这个漫画,让我开始对这个国家产生兴趣。

     读翻译过来的作品,虽然也会有不小的收获,但翻译这一过程,某种意义上也是一种再创作。就像我在上面说的英语翻译腔,英语翻译腔下的汉语,已经不是普通的汉语了。而中国人对日本的印象,除了近代那段不愿让人回想的历史冲突以外,中国人对日本通常有个刻板印象。“不愿给他人添麻烦”“日本国民普遍素质高”“知小礼而无大义”。而这些刻板印象的由来和深层原因,没有学习日语的人却很少知道。很多人知道日本人不愿给他人添麻烦,却不知道这句话潜台词是“别人也别给我添麻烦”。“普遍素质高”的真相,也不过是为了不跟别人不一样导致自己被孤立。至于最后“知小礼而无大义”,由于说法有很多种,这里就不在这一一展开了。

  中国网上有一句流行语:“仿佛打开了新世界的大门”,指的是经历了一个至今没有经历过的事情,然后对认识有了新的见解的过程。整个地球有着多种多样的文化,当你接触一门新的外语,就会潜移默化的了解这个国家的文化。这不也是一种新世界的大门么?读书增加了我们知识的深度,而学外语则因此增加了我们学习知识的广度。学会更多的外语,我们就能从更多的角度看待问题,何乐而不为呢?

世界が広がる外国語学習
【言葉を学んだきっかけとよかったこと④】

 「異なる言語を話す人は異なる世界に生きている」


 これはサピア=ウォーフ仮説と言われるもので、例えば日本語で世界を見ている人と、英語で世界を見ている人では、その世界の言語による切り取り方が異なり、それゆえ異なる世界を生きているのである、という考え方だ。


中学生になって「外国語」としての英語というものを勉強し始めた頃には、どちらかというと語彙や文法基礎則を組み合わせることで目の前の暗号のような英語の文章が読めるようになるというパズル的な要素に楽しみを覚えていた。外国語は自分の外にある分析の対象だった。


 大学に入り中国語を専攻することになった時も、最初は分析対象の暗号解読能力のさらなる洗練をするつもりでいた。しかし、私が入った所はいわゆる「中国人」のように中国語を操ることを目指す教育方針を取っていた。まずは発音を徹底的に「中国人」らしくすることを求められる。文法の授業も覚えるよりは慣れろという感じで説明はそこそこにガンガン作文をさせられ、矯正される。文化祭では中国料理を作り、中国語で演劇をすることが課される。つまり、中国語を自分の内に取り込むことを要求されたのだ。

 このような外国語教育をしているところは少ないのではないだろうか。外国語はあくまで外国語であって、第一言語との距離をしっかり意識した上で学ぶものというのが一般的だろう。しかし外国語を「外」のものではなく「内」に取り込むことを主張し、それを一つの思想的実践にまで昇華した先達がいた。江戸時代に生きた荻生徂徠(1666~1728)である。


 荻生徂徠は古代の中国に理想の社会を見出した。徂徠が生きた江戸時代までの「日本」においても中国の古代社会を理想とする考え方は一般的であった。しかしその古代中国へは自らのものとは「異なる」言語を解読することで近づくというアプローチだった。この方法に対して徂徠は、古代中国社会を生きようとした。どのようにしてか。古代中国人のように中国語を操ることで、である。古代中国人のように『論語』を読み、古代中国人のように漢詩を書き、古代中国人のように議論をする。徂徠は江戸時代当時、唯一の中国との通路であった長崎から中国人学者を江戸に招聘し、中国古典に関して当時の中国語で議論をしようとしていた。


  徂徠は古代中国人の眼で世界を見ようとした。冒頭のサピア=ウォーフ仮説を体現しようとしたわけだ。この実践を知った時、私は大学で受けた中国語教育がこの江戸時代の思想家に連なるものだという感慨を覚えた。荻生徂徠は私たちの中国語学習の先輩なのだと。


 「外国語は単なる道具だ」と言われることがある。そのように外国語と関係している人もいるだろう。しかし徂徠や私たちのような外国語教育を受けた者が目指したのは、異なる言語を内に取り込み、その世界を生きることだ。私にとって外国語を学んで世界が広がるとは、そういうことだ。


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 yuのメンバーが、自分のエピソードを交えて、「言語学習の経験」を紹介していきます。まずは「言葉を学んだきっかけとよかったこと」について語ります。

「分からない」から「分かり合うへ」
【言葉を学んだきっかけとよかったこと③】

 北京留学の最終日、彼は泣いてくれた。空港に行く前に立ち寄った飲食店で、私の目の前で泣いていたのは、1年間の留学中、ずっと一緒に暮らしていた中国人のルームメートだ。彼とは、休みの日にカフェで勉強するときも、友だちと飲みに行くときも、ずっと一緒だった。「明日から誰と遊べば良いんだろうなぁ。」彼はそうボソボソ言っていた。私も同じ気持ちだった。1年ぶりの日本への帰国で胸が躍る思いのはずなのに、素直に喜べない自分がいた。


 そんな彼も、1年前はよく分からない存在だった。どうして彼の知り合いがいない飲み会に嬉々としてついて来ようとするのか、どうして公共の場なのに大声で話すのか。言語の違いによる意思疎通の難しさも、分からなさに拍車をかけていたように思う。一方で彼も、異国の地からやって来た私に対して、どこか分からなさを抱いていたに違いない。


 でも、時間をかけてお互いに向き合い続けることで、私たちは徐々に打ち解けていった。ある日、「お前が北京に来なかったら、オレの生活もこんなに充実してなかったよ。ありがとう。」と彼は恥ずかしげもなく言ってきた。私は照れて適当に流したが、2人が分かり合う者同士になれたのだと、はっとさせられた瞬間だった。

 言語を学んでよかったことというテーマで思いを巡らせると、彼のような個々の「人」がイメージとして浮かんでくる。もう少し言語化すれば、母語の違う彼らとの意思疎通の術を得られたことは勿論だが、それ以前に、そういったよく分からない人々と、向き合い続けようとする意思を与えてくれたことだ。そもそもこの向き合い続けようとする意思がないと、言語が堪能であろうが、自動翻訳が使えようが、分かり合うことは難しい。


 分からないものと向き合うことは、とても疲れることだ。そのため私たちは、分からないものと向き合うことを避けてしまいがちであるように思う。それでも、私が分からないものと向き合ってこられたのは、その国/言語/人々に対する思い入れがあったからだと思う。毎日のように中国語の練習に付き合ってくれた周りの人へのありがたさ、それでもネイティブ同士の会話についていけなかったときの歯がゆさ、そして、よく分からなかった人と分かり合えたときの何とも言えない嬉しさ。留学を含めた大学生活の5年間、中国語と共にした喜怒哀楽があったからこそ、よく分からない人たちと向き合おうと思えた。


 今後も、どれだけ疲れているときであっても、気が向かないときであっても、きっとこの思い入れが、分からない人々と向き合うために、私の背中を押してくれるのだと思う。

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 yuのメンバーが、自分のエピソードを交えて、「言語学習の経験」を紹介していきます。まずは「言葉を学んだきっかけとよかったこと」について語ります。

物語のゆりかごから、一歩外へ
【言葉を学んだきっかけとよかったこと②】

 新しい友達をつくるのが好きだ。初めて出会う人と言葉を交わし、少しずつお互いを知っていく過程が楽しい。学生生活を終えた今も、社会人向けのサークルなどに参加し、新しい人と日々出会える環境を保つように心がけている。世代や国籍、性格や考え方の異なる人と会話するのは単純に楽しいだけではなく、学びや発見も多い。出会う人一人ひとりから得たものが、日常生活や仕事に活きている。

 私が幼いころから常に新たな出会いを求めるタイプだったかというと、そうではない。むしろ、自分の世界の中で、一人きりで楽しむことのほうが好きだった。例えば読書。お気に入りの一冊に没頭しているときは、仲が良い友達からの誘いすら億劫だった。特に夢中になったのは、翻訳ものの小説だ。私が小学生だった頃、世間は海外ファンタジー小説ブームで、私も次から次に読み漁った。『ハリー・ポッター』、『ダレン・シャン』、『サークル・オブ・マジック』……。不思議な魔法の世界や、登場人物たちの暮らす異国の地に憧れた。翻訳もの特有の言い回しに惹かれ、いつか外国の素敵な物語を自分で訳してみたい、と思うようになった。

 中学や高校での英語の授業は、文章の読解が大半を占めていて、楽しかったのを覚えている。英語の文章を日本語に訳していると、まるで自分が翻訳家になったような気分になれた。大学受験の際、外国語学部を志望したのは自然な流れだったと思う。

 しかし、大学で専攻した中国語の学習は、中学・高校までと勝手が違っていた。会話が重視され、積極的な発言を求められる授業形式に、うまくついていけない。その様子を先生が見かねて、会話練習を行う学内サークルへの参加を勧めてくれた。サークルのメンバーは皆すらすらと外国語を操っていて気後れしたけれど、なんとか授業についていきたい一心で参加を決めた。不安はあった。でも、周囲のフォローで、私も少しずつ会話についていけるようになった。サークルには、私が今まで交流したことのなかったタイプの人がたくさんいて、異なる考え方に何度もふれた。目から鱗の思いをすることもあれば、自分の考えを改めて再認識することもあった。いろいろな人と出会い、言葉を交わす度、視野が広がっていく感覚がある。気づけば、活動が楽しみになっている自分がいた。

 大学での授業やサークル活動を経て、私は中国語の本を原文で読めるようになったし、自分の言いたいことを中国語で表現できるようになった。加えて外国語学習は、新たな人と出会い、そこから学びや発見を得ることがどんなに楽しいかを私に教えてくれた。幼いころ憧れた翻訳家にはなれなかったけれど、自分一人きりの小さな輪から出たがらなかった以前の私には想像もつかなかった大きな世界が、今の私の周りには広がっている。

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  yuのメンバーが、自分のエピソードを交えて、「言語学習の経験」を紹介していきます。まずは「言葉を学んだきっかけとよかったこと」について語ります。

世界広がった中国語
【言葉を学んだきっかけとよかったこと①】

 「世界ってでけえ」

 小学校に上がる前、初めて世界地図を見たときにそう感じた。数十㌢四方の世界地図の中で、日本はたった指1本の大きさ。まして大都市だと思っていた東京や自分の暮らす市町村なんて、ただの点でしかないことがショックだった。

 そこから、漠然と外国や外国語に興味を持った。

 大学では中国語を専門的に学んだ。なぜ中国語だったのか、そこにたいした理由はなかったと思う。ちょうど進路を選ぶ時期に領土問題が再燃し、中国での反日運動がピークだった。周りでは「中国って怖い」などと騒がれていたから、逆にそれが本当なのか見に行ってみたかった。もし、身近に大好きなロシア美女がいたらロシア語だったかもしれないし、中東料理が好きだったらアラビア語だったかもしれない。

 在学中に中国留学をしたが、慣れないことも多かった。

 道路をひっきりなしに往来する車。それが途切れた瞬間に、当たり前のように歩行者が横断していた。友人の後をついて渡ることが多くあったが、正直、怖かった。

 半年経ったころ、中国の友人に「なぜ、信号も守らないのにひかれないの」と聞いた。「信号よりも自分の目の方が信じられる。みんな安全だと判断して渡っているからね」。意外な答えで、すぐには理解できなかった。

 つまり、日本では「みんな信号を守る」という絶対的な暗黙のルールがあるから、信号を信用できるという。一方、中国では、ルールが絶対守られるという信頼がないため、渡る時は自分の目で見て車が来ていなければ、渡るという。「車が来てないのが見えてるなら、車にひかれる心配はないでしょ。むしろ、日本人は車が来ていなくても、信号が赤ならずっと待ってるの」。友人はそう言って、笑った。

 日本と中国の交通ルールに関してどちらが良いかは、わからない。ただ、自分の暮らしてきた日本とは全く別のルールで動く社会があった。

 いま世界には190を超える国があり、その一つひとつに、文化や歴史、人々の生活様式がある。私はたまたま中国語を学んだから、「中国」に触れた。小さな自分の世界は、中国語のおかげで少しずつ広がっている。言葉を通じて、友人が世界中にできた。これからもきっと中国語は、世界を広げてくれるはずだ。

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