语言和文化密不可分
【和外国人交流时的失败④】

                  在我小的时候,对一般的中国人而言,出国算是一件稀罕事儿——其实别说出国了,在国家还不够强大,人们生活水平尚未提高之前,除了个别特殊原因之外,普通人可能一辈子都不会离开自己的故乡。1992年改革开放进入新的阶段之后,人们逐渐富裕起来,出国旅行也便不再是什么稀罕事了。与此同时,中国也在积极与国际接轨,在各大城市开始可以看到外国人的身影。国与国之间实现了交流的可能,民间的交流也随之发展起来。

                  不管是走出国门去交流,还是和来到中国的外国人交流,学习外语自然成了必不可少的条件。拿英语来说,80年代只是年轻人觉得时髦才去学,90年代后逐渐走入中小学,并成为了一门必修课。而在娱乐文化上,90年代至今,日韩文化先后在中国流行,不少年轻人想办法学习日语或韩语。虽然自己这么说有自夸的嫌疑,作为擅长学习的亚洲人来说,通过各种渠道拿下一门或数门外语的人不在少数,然而问题也在此时发生了。

                  不管哪门语言,都少不了听、说、读、写。但作为长期接受应试教育的中国人来说,读是最擅长的,写其次,听和说就弱一点了。同时,正因为是应试教育,我们对外语的理解更多停留在表面,比如词汇量的累积和语法的运用之类的。相对的,我们对异国的文化理解相对的差一点。

                  我大学的英语老师给我讲过一个例子:他曾经去美国留学,当时他的英语水平在中国人看来算是很强了,但出国之后才感觉到自己的不足,甚至闹过这样一个笑话:他和一个美国朋友一起出门,途中这个朋友说了一句:“I want to go somewhere,(我想去某个地方,暗指洗手间)”我们的老师想表现中国人的随和,就说了一句:“you can go to anywhere!(你去哪里都可以!)”让他的朋友哭笑不得。

                  日语中也有很多类似的例子。比如日语里常见的“场面话/客套话”。其实严格来说,每种语言都有自己的客套话,而其客套话对应的本意,其他国家的人可能就不太清楚。中国人有时候喜欢说“有机会来我家玩啊”“有空一起吃饭啊”,这些往往都不是本意,只是跟你客气客气。如果真的有意邀请你,早就问你具体的时间有没有空了。而我自身遇到过的日语里的场面话,不得不提这几个:“考えさせてください。”“ちょっと難しいですね…”这发生在我向日本朋友发出某种邀请的时候,对方对我的回复。按照中国人一般情况的理解,前者的话,嗯,你要考虑考虑,那么给你时间考虑,我过两天再问好了。后者的话,嗯,有点困难,但也没直接拒绝,那我还可以再等等,之类的。这种交流方式,对于日本人的各位自然是耳熟能详信手拈来,但对于学过一点日语再出国的我来说,如果不是后面有人给我指出来,我可能还一直想不明白呢。

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yu成员用自己的情节来介绍一下”外语学习经验”。 这次,我们介绍一下 “和外国人交流时的失败”。

「言わないとやってくれないし、言えばすぐやってくれるよ」
【外国人との交流での失敗③】

 アメリカの大学院へ留学したいという切実な思いがあった。研究者としてのキャリアを考えるうえで、世界のスタンダードとなったアメリカの研究方法や、英語で自らの研究を発信できる能力は、是非とも身につけておきたいものである。そういう事情もあって、私にとってアメリカの大学院に行けるかいけないかは、人生を左右する程に重要な分かれ道であった。

 そのために、綿密な研究計画書を作成し難関と言われる研究費を獲得し、留学を希望していた大学の教授の日本講演を聞きに行き、心臓が飛び出る思いで話しかけて留学希望の旨を伝え、その後わざわざ一度渡米して研究室の授業を体験させてもらい、帰国してからは留学受け入れのための研究計画書類の作成や、TOEFLの基準スコアをクリアするため苦手な試験勉強に励んだ。

 そんなこんなでなんとか残すは先方の大学の事務が発行する受入証明書を携えて、米国大使館へビザを申請するだけという段階まで辿り着いた。だが、必要書類を事務にすべて提出して一週間が経ち、二週間が経ち、一か月が経っても受入証明書が来ない。私の感覚としてはアメリカの大学機関に書類を提出しているのだから信頼すべきで、こちらから確認や催促をするのは失礼ではないかと思っていたのだった。毎日メールボックスの更新ボタンを繰り返し押しながら、一日また一日と、もしかしたら書類の審査で落とされたのではとの思いも生まれ、留学には行けないのではという不安が積み重なっていった。

いよいよ米国大使館でのビザ申請から発行までの期間と出国日との兼ね合いがギリギリのタイミングになった。このままでこれまで準備してきたものがすべて水泡に帰してしまう。背に腹はかえられない思いで、先方の事務に連絡をした。

「留学用の必要書類、届いていますか?ビザ申請の為、受入証明書を頂きたいのですが…」

 返信はあっけないほどすぐに返ってきた。

 「あ、ごめん。忘れてた。今送りまーす。」

 すぐに受入証明書が送られてきた。

 ・・・。忘れてたって、あるの?私一人の特殊な書類でもないでしょ?私にとっては人生懸けた書類だよ?などなど居た堪れない思いが胸中に去来した。そんなことを愚痴りたくて、出国前に大学のアメリカ文学の先生の所に挨拶に行き、事の顛末をやや苛立ちながら話すと、先生は

「いやアメリカの大学といってもそんなもんですよ。言わないとやってくれないし、言えばすぐやってくれるよ。」

私にとっては人生を懸けた一通のメールだったが、向こう側では埋もれた記憶を思い起こすきっかけに過ぎなかった。でも、「そんなもん」だよな、とも納得できた。

自分の中の重要度と相手にとっての重要度は当然異なるものだ。自分にとって重要なら、「言わない」といけない。すると自分が思っているよりすんなりと、「言えばすぐやってくれるよ」。

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yuのメンバーが、自分のエピソードを交えて、「言語学習の経験」を紹介していきます。今回は「外国人との交流での失敗」について語ります。

「面白い話を聞かせてくれ」
【外国人との交流での失敗②】

 国際交流という文脈で、どれだけ外国語が堪能に扱えたとしても、乗り越えることが難しい壁がある。その1つが「笑い」だ。何を以って面白いとするかは、国によってかなり異なる。外国人の彼らが面白いと思うことが、日本人の私たちにとっては全く面白くなかったり、逆に日本人にとって面白いと思っていることが、外国人には全くウケなかったりすることがある。国によって、ウケをとるパターンが全く異なったりもする。

 アメリカのカリフォルニア州に留学していたときのことだ。当時私は、アメリカ人とメキシコ人の2人のハウスメートと暮らしていた。ある日の休日、アメリカ人のハウスメートが、自身のお酒の席での失敗談を話し始めた。5分ほどかけて話していただろうか。要約すると、親戚とのお酒の席で、1人が飲みすぎて戻してしまい、それを見た彼も連鎖的に戻してしまったということだった。要約してしまうと何のことはないが、彼の細かい描写が妙にリアルで、私とメキシコ人のハウスメートには、とてもウケた。話が終わると、今度はメキシコ人の彼が、「次は自分の番」と言わんばかりに、自分のエピソードを披露し始めた。そして彼も、数分を使って自身のエピソードを事細かに描写していったのだ。このとき私が、「これはマズい」と感じたことを覚えている。

 これはアメリカに来てから気づいたことなのだが、日本の生活で生まれる笑いは、複数人の会話や、その中で生まれる端的なツッコミで生まれることが多かったように思う。よくある「なんでやねん」のようなフレーズも、その1つかも知れない。一方アメリカでは、1人1人が4-5分かけて自身のユーモアあるエピソードで笑いを取りに来る場面が多く見られた。そして1人が語り終わると、他の者が「私の場合は、、、」と続け、それぞれがエピソードを交換するような感じだった。相手がエピソードを披露したら、自分もエピソードを披露することが、当時はある種マナーのように感じられた。

 私も、お酒の失敗の1つや2つ、ないわけではない。しかし、それを4-5分かけて、しかもある程度のオチをつけて披露するとなると、話は別だ。また、話を思いついたところで、それを当時の私のつたない英語に翻訳しながら語らなければならなかった。そんなことに思いを巡らせながら悶々としているうちに、ついにメキシコ人の彼のエピソードが終わってしまった。「さぁ、君の番だ。何か面白い話を聞かせてくれ。」友人たちは、そんな目で私をじっと見つめているのだ。私は訳も分からず話し始めた。正直、どんな話をしたのかはあまり覚えていない。支離滅裂な作り話を暫く続けていたような気もする。ただ、私が話し終わった後の、ハウスメートたちの気を遣った作り笑いは、はっきりと覚えている。ウケをとるパターンは違えど、「スベる」という空気感に国の違いはないのだと体感した瞬間だった。

 私のアメリカ留学が始まったばかりのことだった。これから乗り越えるべき壁の高さを、少々苦い感情と一緒に思い知った1日だった。

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yuのメンバーが、自分のエピソードを交えて、「言語学習の経験」を紹介していきます。今回は「外国人との交流での失敗」について語ります。