物語のゆりかごから、一歩外へ
【言葉を学んだきっかけとよかったこと②】

 新しい友達をつくるのが好きだ。初めて出会う人と言葉を交わし、少しずつお互いを知っていく過程が楽しい。学生生活を終えた今も、社会人向けのサークルなどに参加し、新しい人と日々出会える環境を保つように心がけている。世代や国籍、性格や考え方の異なる人と会話するのは単純に楽しいだけではなく、学びや発見も多い。出会う人一人ひとりから得たものが、日常生活や仕事に活きている。

 私が幼いころから常に新たな出会いを求めるタイプだったかというと、そうではない。むしろ、自分の世界の中で、一人きりで楽しむことのほうが好きだった。例えば読書。お気に入りの一冊に没頭しているときは、仲が良い友達からの誘いすら億劫だった。特に夢中になったのは、翻訳ものの小説だ。私が小学生だった頃、世間は海外ファンタジー小説ブームで、私も次から次に読み漁った。『ハリー・ポッター』、『ダレン・シャン』、『サークル・オブ・マジック』……。不思議な魔法の世界や、登場人物たちの暮らす異国の地に憧れた。翻訳もの特有の言い回しに惹かれ、いつか外国の素敵な物語を自分で訳してみたい、と思うようになった。

 中学や高校での英語の授業は、文章の読解が大半を占めていて、楽しかったのを覚えている。英語の文章を日本語に訳していると、まるで自分が翻訳家になったような気分になれた。大学受験の際、外国語学部を志望したのは自然な流れだったと思う。

 しかし、大学で専攻した中国語の学習は、中学・高校までと勝手が違っていた。会話が重視され、積極的な発言を求められる授業形式に、うまくついていけない。その様子を先生が見かねて、会話練習を行う学内サークルへの参加を勧めてくれた。サークルのメンバーは皆すらすらと外国語を操っていて気後れしたけれど、なんとか授業についていきたい一心で参加を決めた。不安はあった。でも、周囲のフォローで、私も少しずつ会話についていけるようになった。サークルには、私が今まで交流したことのなかったタイプの人がたくさんいて、異なる考え方に何度もふれた。目から鱗の思いをすることもあれば、自分の考えを改めて再認識することもあった。いろいろな人と出会い、言葉を交わす度、視野が広がっていく感覚がある。気づけば、活動が楽しみになっている自分がいた。

 大学での授業やサークル活動を経て、私は中国語の本を原文で読めるようになったし、自分の言いたいことを中国語で表現できるようになった。加えて外国語学習は、新たな人と出会い、そこから学びや発見を得ることがどんなに楽しいかを私に教えてくれた。幼いころ憧れた翻訳家にはなれなかったけれど、自分一人きりの小さな輪から出たがらなかった以前の私には想像もつかなかった大きな世界が、今の私の周りには広がっている。

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  yuのメンバーが、自分のエピソードを交えて、「言語学習の経験」を紹介していきます。まずは「言葉を学んだきっかけとよかったこと」について語ります。

世界広がった中国語
【言葉を学んだきっかけとよかったこと①】

 「世界ってでけえ」

 小学校に上がる前、初めて世界地図を見たときにそう感じた。数十㌢四方の世界地図の中で、日本はたった指1本の大きさ。まして大都市だと思っていた東京や自分の暮らす市町村なんて、ただの点でしかないことがショックだった。

 そこから、漠然と外国や外国語に興味を持った。

 大学では中国語を専門的に学んだ。なぜ中国語だったのか、そこにたいした理由はなかったと思う。ちょうど進路を選ぶ時期に領土問題が再燃し、中国での反日運動がピークだった。周りでは「中国って怖い」などと騒がれていたから、逆にそれが本当なのか見に行ってみたかった。もし、身近に大好きなロシア美女がいたらロシア語だったかもしれないし、中東料理が好きだったらアラビア語だったかもしれない。

 在学中に中国留学をしたが、慣れないことも多かった。

 道路をひっきりなしに往来する車。それが途切れた瞬間に、当たり前のように歩行者が横断していた。友人の後をついて渡ることが多くあったが、正直、怖かった。

 半年経ったころ、中国の友人に「なぜ、信号も守らないのにひかれないの」と聞いた。「信号よりも自分の目の方が信じられる。みんな安全だと判断して渡っているからね」。意外な答えで、すぐには理解できなかった。

 つまり、日本では「みんな信号を守る」という絶対的な暗黙のルールがあるから、信号を信用できるという。一方、中国では、ルールが絶対守られるという信頼がないため、渡る時は自分の目で見て車が来ていなければ、渡るという。「車が来てないのが見えてるなら、車にひかれる心配はないでしょ。むしろ、日本人は車が来ていなくても、信号が赤ならずっと待ってるの」。友人はそう言って、笑った。

 日本と中国の交通ルールに関してどちらが良いかは、わからない。ただ、自分の暮らしてきた日本とは全く別のルールで動く社会があった。

 いま世界には190を超える国があり、その一つひとつに、文化や歴史、人々の生活様式がある。私はたまたま中国語を学んだから、「中国」に触れた。小さな自分の世界は、中国語のおかげで少しずつ広がっている。言葉を通じて、友人が世界中にできた。これからもきっと中国語は、世界を広げてくれるはずだ。

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