「烏龍茶が好きです」
【外国人との交流での失敗①】

私の夫は中国人だ。外国人である夫と話していると、私が日々いかに直接的な言い方をせずに話をしているかということに気付かされる。個人差はあるものの、婉曲表現を好み、はっきりとしたもの言いを避けるのは、日本人に共通の傾向と言っていいだろう。今回は、この傾向が原因で起こった私と夫の間のとあるささいなすれ違いについて紹介してみたい。

 夫と付き合ったばかりの頃の話だ。一緒に遊びに出かけると、夫は私に時折、喉が渇いていないか聞いてくれた。私と二人で出かけるとき、夫のリュックにはいつもペットボトルが二本入っていて、一方は夫の好きなコーラ、一方は私のためのお茶だった。私は頻繁に水分をとらないタイプなので、それほど喉は乾いていないことが多かったのだけれど、せっかく持ってきてくれたのだからと思い、勧められれば「ありがとう」と受け取っていた。その気遣いが嬉しかった。

 そうして差し出されるお茶を何度も受け取っているうちに私は気付いた。夫が時々自分用にコーラ以外の飲み物を用意してくることはあったけれど、私にくれるお茶は、決まって烏龍茶なのだ。最初は、夫自身がよく飲むのだろうと思ったけれど、彼が烏龍茶を特別好んで飲んでいる様子は見られない。「中国らしい飲み物」としてのチョイスなのだろうかとも思ったが、どうもしっくりこない。考えに考えて、ようやく行き当った。私は夫に一度、「烏龍茶が好き」だと言ったことがあったのだ。

 私と夫は同じ中国語会話サークルに所属していて、活動後、時々みんなで夜ご飯を食べに行っていた。他のメンバーがお酒を注文しているとき、私はあまり飲めないので、よく烏龍茶を頼んでいた。どのお店に入っても大抵メニューにあり、迷わずにさっと注文できるからだ。その様子を見ていた夫は、初めて私と二人で出かけた日に私にこう尋ねた。

「君が好きかと思って烏龍茶を持ってきたんだけど、これ、好き?」

私は烏龍茶が特別好きというわけではなかったけれど、特別嫌いというわけでももちろんなかった。気遣いを無下にしたくなくて、あまり深く考えずにこう答えた。

「うん、好きだよ、ありがとう」

かくして夫は、「烏龍茶が大好き」な私のために、毎回わざわざ重たい思いをしてペットボトルの烏龍茶を持参してくることになったのである。一方私は彼のそんな気遣いなど露知らず、「なんでこの人いっつも烏龍茶持ってくるんだろうなあ」などと思っていたのだ。……本当に申し訳ない。

 あのころから、およそ四年。結婚してからはもう一年半近い時間が経ち、何度もこうしたすれ違いを繰り返した結果、私は、夫と話すときにはかなりはっきりとものを言うようになった。これまで自分の希望を伝えるのがどちらかと言えば苦手だった私にとって、「これがいい」、「あれは嫌」というのを思うままに言う自分というのは、なんだか新鮮だ。度が過ぎてただの鬼嫁にならないように気をつけなければならないが、これからも夫と話すときは、この「もう一人の自分」を楽しんでいきたいと思っている。

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yuのメンバーが、自分のエピソードを交えて、「言語学習の経験」を紹介していきます。今回は「外国人との交流での失敗」について語ります。

从“人类进步的阶梯”到“新世界的大门”
【学习外语的契机和收获⑤】

  小时候,比起身边喜欢在外面玩的其他人,我更喜欢在家里静静的看书。我选择看的书并没有什么限制条件,不管是绘本,漫画,连环画,还是小说,童话,寓言,甚至包括百科全书和字典,都在我的选择范围内。每本书有其自己的特色,读不同的书的时候会收获不同的体验。有的书你每次读都有可能有不同的体验,有的书在你经历过一些特定的经历之前或之后去读它也会有不同的体验,这种乐趣正是读书带给我的。

  前苏联作家马克西姆·高尔基先生曾经说过一句话,“书是人类进步的阶梯。” 书,让我们懂得了更多的知识和道理。书,也是人类进步的起源。人们通过书籍来了解事物的种种,了解伟人给我们的启发和教育。

  而说到让我去学习外语的契机,不得不提两本书。一本是小说《冯· 特拉普家的歌手们》。大家乍一听可能不太熟悉这个名字,但如果告诉大家这部小说改编的音乐剧电影叫做《音乐之声》,可能大家就很熟悉了。值得一提的是,我小时候读过的版本,中文译文采用了到如今大家经常拿来玩梗的翻译腔。主人公玛利亚因孩子们恶作剧在坐在松果上而大叫的时候,上校诙谐的说了句 :“很动听的语调,在修道院学的吗?”玛利亚则没有生孩子们的气,只是用“哦,不,只是我的关节炎犯了。”而回避过去。这里面的译文虽然还是中文,但翻译腔的特色正是把外语的表达方式原原本本用汉语表现出来,以此让我更直接的接触外国的文化,了解其他国家人们的交流方式。

  另一本则是漫画《哆啦A梦》。很多人关注的是这个来自未来22世纪的猫型机器人,用各种各样的未来道具帮助20世纪的少年大雄的故事。而我的关注点则是这部漫画里介绍的各种日本元素。赏樱文化,茶道文化,饮食文化,榻榻米文化和祭典文化等。诚然这些日式文化里,有一部分文化来源中国,却在日本经过长时间的发展,发展出自己独特的文化。也正是因为通过这个漫画,让我开始对这个国家产生兴趣。

     读翻译过来的作品,虽然也会有不小的收获,但翻译这一过程,某种意义上也是一种再创作。就像我在上面说的英语翻译腔,英语翻译腔下的汉语,已经不是普通的汉语了。而中国人对日本的印象,除了近代那段不愿让人回想的历史冲突以外,中国人对日本通常有个刻板印象。“不愿给他人添麻烦”“日本国民普遍素质高”“知小礼而无大义”。而这些刻板印象的由来和深层原因,没有学习日语的人却很少知道。很多人知道日本人不愿给他人添麻烦,却不知道这句话潜台词是“别人也别给我添麻烦”。“普遍素质高”的真相,也不过是为了不跟别人不一样导致自己被孤立。至于最后“知小礼而无大义”,由于说法有很多种,这里就不在这一一展开了。

  中国网上有一句流行语:“仿佛打开了新世界的大门”,指的是经历了一个至今没有经历过的事情,然后对认识有了新的见解的过程。整个地球有着多种多样的文化,当你接触一门新的外语,就会潜移默化的了解这个国家的文化。这不也是一种新世界的大门么?读书增加了我们知识的深度,而学外语则因此增加了我们学习知识的广度。学会更多的外语,我们就能从更多的角度看待问题,何乐而不为呢?

世界が広がる外国語学習
【言葉を学んだきっかけとよかったこと④】

 「異なる言語を話す人は異なる世界に生きている」


 これはサピア=ウォーフ仮説と言われるもので、例えば日本語で世界を見ている人と、英語で世界を見ている人では、その世界の言語による切り取り方が異なり、それゆえ異なる世界を生きているのである、という考え方だ。


中学生になって「外国語」としての英語というものを勉強し始めた頃には、どちらかというと語彙や文法基礎則を組み合わせることで目の前の暗号のような英語の文章が読めるようになるというパズル的な要素に楽しみを覚えていた。外国語は自分の外にある分析の対象だった。


 大学に入り中国語を専攻することになった時も、最初は分析対象の暗号解読能力のさらなる洗練をするつもりでいた。しかし、私が入った所はいわゆる「中国人」のように中国語を操ることを目指す教育方針を取っていた。まずは発音を徹底的に「中国人」らしくすることを求められる。文法の授業も覚えるよりは慣れろという感じで説明はそこそこにガンガン作文をさせられ、矯正される。文化祭では中国料理を作り、中国語で演劇をすることが課される。つまり、中国語を自分の内に取り込むことを要求されたのだ。

 このような外国語教育をしているところは少ないのではないだろうか。外国語はあくまで外国語であって、第一言語との距離をしっかり意識した上で学ぶものというのが一般的だろう。しかし外国語を「外」のものではなく「内」に取り込むことを主張し、それを一つの思想的実践にまで昇華した先達がいた。江戸時代に生きた荻生徂徠(1666~1728)である。


 荻生徂徠は古代の中国に理想の社会を見出した。徂徠が生きた江戸時代までの「日本」においても中国の古代社会を理想とする考え方は一般的であった。しかしその古代中国へは自らのものとは「異なる」言語を解読することで近づくというアプローチだった。この方法に対して徂徠は、古代中国社会を生きようとした。どのようにしてか。古代中国人のように中国語を操ることで、である。古代中国人のように『論語』を読み、古代中国人のように漢詩を書き、古代中国人のように議論をする。徂徠は江戸時代当時、唯一の中国との通路であった長崎から中国人学者を江戸に招聘し、中国古典に関して当時の中国語で議論をしようとしていた。


  徂徠は古代中国人の眼で世界を見ようとした。冒頭のサピア=ウォーフ仮説を体現しようとしたわけだ。この実践を知った時、私は大学で受けた中国語教育がこの江戸時代の思想家に連なるものだという感慨を覚えた。荻生徂徠は私たちの中国語学習の先輩なのだと。


 「外国語は単なる道具だ」と言われることがある。そのように外国語と関係している人もいるだろう。しかし徂徠や私たちのような外国語教育を受けた者が目指したのは、異なる言語を内に取り込み、その世界を生きることだ。私にとって外国語を学んで世界が広がるとは、そういうことだ。


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 yuのメンバーが、自分のエピソードを交えて、「言語学習の経験」を紹介していきます。まずは「言葉を学んだきっかけとよかったこと」について語ります。

「分からない」から「分かり合うへ」
【言葉を学んだきっかけとよかったこと③】

 北京留学の最終日、彼は泣いてくれた。空港に行く前に立ち寄った飲食店で、私の目の前で泣いていたのは、1年間の留学中、ずっと一緒に暮らしていた中国人のルームメートだ。彼とは、休みの日にカフェで勉強するときも、友だちと飲みに行くときも、ずっと一緒だった。「明日から誰と遊べば良いんだろうなぁ。」彼はそうボソボソ言っていた。私も同じ気持ちだった。1年ぶりの日本への帰国で胸が躍る思いのはずなのに、素直に喜べない自分がいた。


 そんな彼も、1年前はよく分からない存在だった。どうして彼の知り合いがいない飲み会に嬉々としてついて来ようとするのか、どうして公共の場なのに大声で話すのか。言語の違いによる意思疎通の難しさも、分からなさに拍車をかけていたように思う。一方で彼も、異国の地からやって来た私に対して、どこか分からなさを抱いていたに違いない。


 でも、時間をかけてお互いに向き合い続けることで、私たちは徐々に打ち解けていった。ある日、「お前が北京に来なかったら、オレの生活もこんなに充実してなかったよ。ありがとう。」と彼は恥ずかしげもなく言ってきた。私は照れて適当に流したが、2人が分かり合う者同士になれたのだと、はっとさせられた瞬間だった。

 言語を学んでよかったことというテーマで思いを巡らせると、彼のような個々の「人」がイメージとして浮かんでくる。もう少し言語化すれば、母語の違う彼らとの意思疎通の術を得られたことは勿論だが、それ以前に、そういったよく分からない人々と、向き合い続けようとする意思を与えてくれたことだ。そもそもこの向き合い続けようとする意思がないと、言語が堪能であろうが、自動翻訳が使えようが、分かり合うことは難しい。


 分からないものと向き合うことは、とても疲れることだ。そのため私たちは、分からないものと向き合うことを避けてしまいがちであるように思う。それでも、私が分からないものと向き合ってこられたのは、その国/言語/人々に対する思い入れがあったからだと思う。毎日のように中国語の練習に付き合ってくれた周りの人へのありがたさ、それでもネイティブ同士の会話についていけなかったときの歯がゆさ、そして、よく分からなかった人と分かり合えたときの何とも言えない嬉しさ。留学を含めた大学生活の5年間、中国語と共にした喜怒哀楽があったからこそ、よく分からない人たちと向き合おうと思えた。


 今後も、どれだけ疲れているときであっても、気が向かないときであっても、きっとこの思い入れが、分からない人々と向き合うために、私の背中を押してくれるのだと思う。

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