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世界が広がる外国語学習
【言葉を学んだきっかけとよかったこと④】

2021年1月10日

 「異なる言語を話す人は異なる世界に生きている」


 これはサピア=ウォーフ仮説と言われるもので、例えば日本語で世界を見ている人と、英語で世界を見ている人では、その世界の言語による切り取り方が異なり、それゆえ異なる世界を生きているのである、という考え方だ。


中学生になって「外国語」としての英語というものを勉強し始めた頃には、どちらかというと語彙や文法基礎則を組み合わせることで目の前の暗号のような英語の文章が読めるようになるというパズル的な要素に楽しみを覚えていた。外国語は自分の外にある分析の対象だった。


 大学に入り中国語を専攻することになった時も、最初は分析対象の暗号解読能力のさらなる洗練をするつもりでいた。しかし、私が入った所はいわゆる「中国人」のように中国語を操ることを目指す教育方針を取っていた。まずは発音を徹底的に「中国人」らしくすることを求められる。文法の授業も覚えるよりは慣れろという感じで説明はそこそこにガンガン作文をさせられ、矯正される。文化祭では中国料理を作り、中国語で演劇をすることが課される。つまり、中国語を自分の内に取り込むことを要求されたのだ。

 このような外国語教育をしているところは少ないのではないだろうか。外国語はあくまで外国語であって、第一言語との距離をしっかり意識した上で学ぶものというのが一般的だろう。しかし外国語を「外」のものではなく「内」に取り込むことを主張し、それを一つの思想的実践にまで昇華した先達がいた。江戸時代に生きた荻生徂徠(1666~1728)である。


 荻生徂徠は古代の中国に理想の社会を見出した。徂徠が生きた江戸時代までの「日本」においても中国の古代社会を理想とする考え方は一般的であった。しかしその古代中国へは自らのものとは「異なる」言語を解読することで近づくというアプローチだった。この方法に対して徂徠は、古代中国社会を生きようとした。どのようにしてか。古代中国人のように中国語を操ることで、である。古代中国人のように『論語』を読み、古代中国人のように漢詩を書き、古代中国人のように議論をする。徂徠は江戸時代当時、唯一の中国との通路であった長崎から中国人学者を江戸に招聘し、中国古典に関して当時の中国語で議論をしようとしていた。


  徂徠は古代中国人の眼で世界を見ようとした。冒頭のサピア=ウォーフ仮説を体現しようとしたわけだ。この実践を知った時、私は大学で受けた中国語教育がこの江戸時代の思想家に連なるものだという感慨を覚えた。荻生徂徠は私たちの中国語学習の先輩なのだと。


 「外国語は単なる道具だ」と言われることがある。そのように外国語と関係している人もいるだろう。しかし徂徠や私たちのような外国語教育を受けた者が目指したのは、異なる言語を内に取り込み、その世界を生きることだ。私にとって外国語を学んで世界が広がるとは、そういうことだ。


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 yuのメンバーが、自分のエピソードを交えて、「言語学習の経験」を紹介していきます。まずは「言葉を学んだきっかけとよかったこと」について語ります。

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